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広島地方裁判所呉支部 昭和30年(ワ)145号 判決 1959年8月17日

原告 西本重明

被告 広島県

主文

被告は原告に対し金四三、〇〇〇円及びこれに対する昭和三〇年一一月一〇日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求は棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その四を原告の、その一を被告の負担とする。

事実

第一、当事者の求める裁判

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金三〇一、六〇〇円、及びそのうち金三〇〇、〇〇〇円に対し昭和三〇年一一月一〇日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、

被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求めた。

第二、請求の原因

一、違法な捜査行為による権利侵害の主張

(一)  不法逮捕について

(1)  原告は昭和三〇年二月頃和歌山県日高郡川辺町字入野にある土木建築業山政組の工事現場において土工として働いていたが同月一八日午後三時頃同地区を所轄する御坊警察署において当時広島県警察本部捜査一課に勤務していた訴外松田謙造警部補、同県呉警察署捜査係に勤務していた訴外原勇巡査部長及び同じく訴外山岡正篤巡査等により原告を被疑者とする呉簡易裁判所裁判官の逮捕状で強盗殺人及び死体遺棄の嫌疑の下に逮捕され、ついで同日午後七時一五分御坊駅発の夜行列車で翌一九日午前六時頃呉市呉警察署まで引致の上同署に留置されるにいたつたが、その後引つづき同月二一日広島地方検察庁呉支部検察官の請求により呉簡易裁判所裁判官の発した勾留状に基き同日より広警察署代用監獄において、同年三月四日よりは呉拘置支所において、その執行を受け同月一二日検察官の原告に対する不起訴処分による釈放にいたるまで拘禁されたのである。

しかして原告に対する右の如き強制捜査の基礎となつた被疑事実の要旨は、「原告は性行不良者で徒食している者であるが遊興費に窮し昭和二九年一二月三〇日頃かねて知り合いの広島県賀茂郡安登村字跡条の農業光田末松(五十七年位)を訪れ金借方を申込んだが拒絶せられたため同人を殺害して所持金を強奪しようと決意し突然同人方にあつた棍棒状のもので同人の頭部を数回殴打し、更にその場にあつた荒縄で首を絞めて殺害した上現金一万円余在中の白ケンパス製三ツ折財布を強取し、更にその屍体を同人方裏の山林中に遺棄した」と謂うにあつた。

(2)  しかし乍ら原告はかかる被疑事実については全く身に覚えがないのであつて、原告の逮捕はひとえに前記訴外人等の強制捜査上における過失に起因せる不当違法な所為に外ならない。そもそも原告が逮捕せられるに至つた経緯はつぎのとおりである。

原告は昭和二九年一二月二九日、その頃勤務していた呉市仁方町の土佐電気株式会社より賃金及び年末賞与金として約一万円を支給せられたのでこれを所持して同日午後七時半頃仁方駅前より乗合自動車に乗車して同市朝日町に赴き遊廓第二初音楼に登楼したが当時原告は妻ミドリが上田某なる中年男と駈落ちしたため、やむなく同女を離別し長男真治を引取つて養育せねばならぬ窮境に陥り日々欝々として楽しまなかつた際であつたので分別もなく遊蕩に溺れ翌三〇年一月四日まで遊女佐光文子を敵娼として流連し、そのため所持金を使い果して仕舞つた。それ故そのまま自宅に帰ることもできず同日前記和歌山県の山政組工事現場に職を求めて出発したのである。ところが当時本件強盗殺人事件の捜査に従事していた呉警察署の原巡査部長と山岡巡査が同年二月一五日呉市朝日町を警邏していたところたまたま氏名不詳の男から該事件の犯人らしき男が年末から正月にかけて約一週間第二初音楼に泊つていたとの聞込を得たので、右訴外人等は第二初音楼に赴き女将菅田国枝につき事情を問い質したところ同女は原告が昭和二九年一二月二九日の夜から翌三〇年一月四日午後一二時まで引続いて同楼に遊女明美こと佐光文子を相手に泊りその間に玉代として合計一万二千円を支払つたこと。流連の間中原告は一度も外出せず食物も殆んど咽喉を通らぬ有様で終始なにかにおびえているそぶりのあつたこと、同女が佐光文子から伝え聞くところによると原告は年寄りの男を殺して可哀そうなことをしたから生きておれないと語つていたとのことでありしかも一二月三〇日の夜は同女と心中する約束をしてアドルムを飲んで寝たことがあつたという話であること、原告は一月四日夜ハイヤーで吉浦駅に行き九州方面に行つたがその後和歌山県から右文子に宛てた手紙には人を殺したが今は改心して働いている旨書いてあつたこと、また原告はその後昭和三〇年初頃突然同楼に来て一泊した上翌日夜午前零時半の上り列車に吉浦駅から乗るといつてハイヤーで出掛けたことがあつたが、その際人を殺した件はある人が仲に入つて話を済して貰つたからもう大丈夫だといつていたこと等の諸事実を申立述べたのである。この女将の供述がその内容において信用できないものであり何ら原告に嫌疑をかける根拠となるものでないことは後述のとおりであるが原巡査部長、山岡巡査及び同人等より右捜査の結果の報告を受けた当時呉警察署捜査係長であつた和田恒利警部は軽卒にも右供述をそのまま措信しこれをほとんど唯一の資料として本件強盗殺人事件の犯人は原告であると盲信するに至り、和田警部において昭和三〇年二月一六日呉簡易裁判所裁判官に対し原告の逮捕状を請求してこれを得、前記のとおり松田警部補等が原告を逮捕するに至つたものである。

(3)  おもうに本件捜査は前述の如くその端緒からして氏名不詳者よりの聞込みという極めて不確実で信用できないものであつたばかりでなく原告に対する右強制捜査のほとんど唯一の手がかりとなつている前記菅田国枝の供述についても、その内容の重要なる部分は伝聞に属するものであるのみならず供述者自体特殊飲食店を経営している者であつて、一般にかかる立場にある者は警察官の取調べに対して迎合的な供述をなすおそれが多いのであるが右供述もその類であつて誘導的な取調に迎合してなされたものであり甚しく真実に反するものである。

このことは供述の内容自体に徴してみても例えば凡そ犯人たるものは精神異常者でもないがぎり強盗殺人というような異常に重大な事実について、自らの蒙ることあるべき不利益を考慮することなしにそれが自らの行為に出でたるものであるということを、遊女などに軽々と洩すなどということは経験則に照らしてもあるべき筈はないのに原告の佐光文子に対する手紙の記載や同女の菅田国枝に対する供述内容にあたかも原告が犯行を自認するような点が存するということは到底その内容の信ずべからざることを示すものでありまして右供述内容を裏付ける当該手紙等のごとき証拠は全く存しないのであるからこれが誘導に応じてそれにそうように供述された結果であることはたやすく理解できるところである。

仮に右供述が自発的になされたものであるとしてもすべて供述者菅田国枝の単なる推測か、さもなくば誇張せられた多くの虚偽を含む供述であることは右供述の内容を検討すればただちに判明する底のもので到底信用しうべき資料とはいえない。

しかしていやしくも犯罪捜査の衝にあたる者は捜査上取得した諸種の証拠資料について夫々の信憑力を比較検討するは勿論合理的判断にしたがつて捜査を進め、強制捜査をなすにあたつては罪を犯したと疑うに足りる相当な理由を慎重に勘案の上不当に人権を侵害することのなからんことを期すべき注意義務を負うものなるところ、右訴外人等が警察官として通常要求せられるかかる注意義務を尽して慎重且公正にその検討にあたつていたならば右菅田の供述内容が到底信じえないものであり、たとえ仮にこれがある程度信用しうるものであつたとしてもその内容の重大性に鑑み、そしてまたことに逮捕状記載の被疑事実によつて犯行日時とされている昭和二九年一二月三〇日頃については同月二九日に原告が登楼してより一度も外出しなかつたという右菅田の供述自体により原告のアリバイがたちうるという矛盾のあるにおいては同女の供述のみを以つてたゞちに原告に対して強制捜査にふみきるだけの嫌疑をかけうる相当な理由ありと認めるにはいささか足りない点のあることを認識しえた筈である。

したがつて捜査に従事する警察官としては当然右不審の存するアリバイその他の点について更に信用し得る資料の蒐集に努めたであろうし、その結果原告には何ら強盗殺人を犯すような動機のないこと、当日は定時まで会社に勤務し間もなく朝日町の遊廓に赴いた事実を容易に発見しえたであろう。

しかるに訴外人等は右の注意義務を怠り、漫然と右菅田の供述を措信し、軽卒にもこの唯一の資料をもつて原告に対し強制捜査をなすべき嫌疑の相当な理由ありとなし爾余の必要な捜査を尽すことなく原告を違法にも逮捕したのである。

(二)  不当な取調方法について

のみならず和田警部、松田警部補、原巡査部長等は昭和三〇年二月一九日午前六時頃原告が呉警察署に引致せられるや、前夜来、身に覚えのない逮捕による精神的衝撃のため遠路の車中一睡もできず、且つ食事も与えられなかつたため疲労困憊している原告に対し、これらの事情を何ら考慮することなく直ちに取調べを始め交々に「お前は汽車の中で何を考えたか白状せい」「お前は知らぬというがお前の出した手紙がこゝにあるぞ、自分で書いた手紙を知らぬことはあるまい、ちやんとこゝに証拠がある」「被害者の冥福を祈つてやれ、そして清算せい」等と申向け、更に原告が訴外人等の意に沿うような供述をしないため逮捕状を示して「逮捕状を見たら必ず白状せねばならぬぞ」「白状すればそれで済むから逮捕状を見た上は白状せい」と強請し遂には唯「白状せい白状せい」と繰返して自白を強要し延々翌二〇日午前三時頃にいたるまで尋問を続けたのである。この間昼食及び夕食の機会を除き一瞬の休憩も与えられなかつた。このため原告は重なる不眠とかゝる厳しい取調べによる精神的打撃のため極度に憔悴し自暴自棄になつて同日午前三時頃心ならずも逮捕状記載の被疑事実に合致する虚偽の自白をなすに至つたのである。

凡そ捜査にあたる警察官には被疑者の取調にあたり不当に心身の圧迫を与えないよう人権尊重上周到な配慮をすべき注意義務あることはいうまでもないが訴外人等の右取調べは捜査の功をあせるのあまり右の注意義務を怠つて、思をそこにいたすことなくよつて原告の心身に不当な圧迫を加えることになつたのである。

(三)  捜査経過等の発表について

更に同年二月一九日頃呉警察署の職員某は同署内において中国新聞社の記者たる御田重宝に対し「原告が安登村の強盗殺人事件の有力容疑者と見られていたが同月一八日午後三時半頃逮捕され、一九日呉署に引致の上留置された、原告は右犯行並びに強取した金員を遊興に費消したことを自供した、犯行の動機は朝日町特殊下宿業の接客婦M子との遊興費に窮したことによるものであり原告は女のために済まないことをしたと涙を流し乍ら犯行の一切を自白したものである」旨の原告を該被疑事件の真犯人と断定する内容の発表をした。そのため昭和三〇年二月二一日付中国新聞夕刊、同日付同新聞呉版に原告の写真入りで別紙(一)(二)のような各記事が掲載せられ真実に反した被疑事実のみならず、私行上の秘密に属する登楼の事実まで一般世人の前に公開され、よつて原告の名誉信用は著しく毀損せられたのである。

凡そ捜査官憲たるものは、特定の犯罪について捜査上知りえた被疑者の氏名を報道関係者に明らかにしなければならない場合にはそれが単なる嫌疑にすぎないことに留意し被疑者の名誉信用を保持するようつとめて細心の注意を払うべき注意義務があるというべきであるが右発表はかゝる所要の注意義務を怠つてなされた違法な所為というべきである。

(四)  以上(一)(二)(三)に縷述の訴外人等の捜査に関する一連の違法な行為は畢竟するにこれらの官憲が捜査にあたつて、職務上当然守るべく要請されている注意義務を怠つて、漫然と捜査を進めたことにその核心があるのであるが、原告はかゝる違法な捜査行為の結果として前記の通り長期の抑留拘禁、名誉毀損等に起因する甚大なる精神的肉体的苦痛を蒙つたのである。

二、豊田警部の放言による名誉毀損の主張

原告は其の後昭和三〇年三月一二日広島地方検察庁呉支部において無実であることが認められ不起訴処分となつて釈放せられ青天白日の身となつた。しかるに本件捜査に関与した当時広島県広警察署勤務の捜査係長豊田貞夫警部は同年同月一五、六日頃広警察署内において中国新聞社の記者御田重宝に対し「自白を強要したとかしないとかの問題より西本の性格的な欠陥によるためではないか。病気ではないだらうが精神異常的なところもあるのではないか。普通のものなら強要もしないのに虚偽の自供をするとは考えられないと思う。」と放言した。

そのため同年同月一七日付中国新聞紙上に広署豊田捜査係長談として右同旨の記事が掲載せられるに至り世間一般に原告が精神異常者ではないかとの印象を与え原告の名誉、信用は著しく毀損せられその結果甚大な精神的苦痛を蒙つたのである。しかして捜査官憲たる者は、具体的事件につき捜査中は勿論のこと、たとえ捜査後でも、当該捜査の対象となつた被疑者の名誉信用を毀損しないよう細心の注意を尽すべき義務があるにもかかわらず、右はかゝる注意義務を怠つて漫然と不用意になされた違法な所為にほかならない。

三、原告の蒙つた損害額並びに被告の責任

原告は広島県立竹原工業学校中退後ヤスリ工、圧延工として又逮捕当時は前記山政組に土工として働き日給五〇〇円を得ていたもので前科もなく近隣でも真面目だと認められていた当時二十五才の青年であつてその家庭には広島県ヤスリ工業協同組合に勤める父、はじめ母、婚姻前の妹があり若干の田畑家屋敷を有し農業を営み平穏無事に中流の生活を営んでいたものである。ところが、以上縷述の如く原告はいわれなき嫌疑をうけ該事件の被疑者として扱われこれがため直接に精神的肉体的に甚大な苦痛を蒙つたのみならず、父海三が外聞を恥じて屡々自殺を計つたことや妹茂子、京子等が被害者の実子より復讐されることをおそれて遠く神戸市の姉アサノ方に逃避したことなど家族一同の暗胆たる苦哀を耳にして益々心をさいなまれたのである。よつて以上の事情並びに前叙の如き訴外人等の過失の程度を勘按すると前記一、の不法な一連の捜査行為による心身の苦痛はこれを慰藉するに金四五〇、〇〇〇円をもつて相当とすべく、二の豊田警部の名誉毀損による精神上の苦痛は金五〇、〇〇〇円をもつて相当であると謂うベきである。

しかして右訴外人等はいずれも公共団体たる被告の公権力たる警察権の行使にあたる公務員であり右の各損害は同人等がその職務である犯罪の捜査を行う上において犯した過失ないし犯罪の搜査に関連して犯した過失により違法に原告に蒙らしめたものであること前叙のとおりであるから被告はその賠償をなすべき義務がある。

四、不当利得の主張

被疑者の護送に要する費用は、犯罪捜査上の必要経費にほかならないから、当然警察権を維持する責めを負う国家ないし地方公共自治団体において負担すべき筋合である。したがつて、原告を和歌山県から呉警察署まで護送するに要した汽車賃及びその間の食費に要した費用概算金一、七〇〇円は本来本件の捜査活動を主宰した被告において負担すべきものなるところ、前記訴外山岡巡査が被告のため一応これを立て替えて支払つたので、原告の母西本マサヱはこれによつて生じた被告の右山岡に対する右同等額の有益費用償還債務を原告の使者として被告のためにこれに代つて昭和三〇年二月二〇日右山岡に対して弁済した。したがつて被告の山岡巡査に対する同債務はこの弁済によつて消滅し、被告はその支払を免れた、即ち被告は原告の右出捐により法律上の原因なく同額の支払を免れて利益を得これがため原告に損失を及ぼしているものというべきであるから被告に対し後日山岡巡査より原告に返還された金一〇〇円を控除した残額金一、六〇〇円の範囲においてその返還を求める。

五、結語

よつて原告は被告に対し前記一、の不法行為による慰藉料金四五〇、〇〇〇円のうち金二七〇、〇〇〇円、二、の不法行為による慰藉料金五〇、〇〇〇円のうち金三〇、〇〇〇円及び各これに対する遅延損害金のうち不法行為の後である昭和三〇年一一月一〇日以降右完済に至るまで民法所定の年五分の割合による部分の支払並びに四、の不当利得金一、六〇〇円の返還を求めるため本訴に及んだものである。

第三、被告の答弁(以下原告の請求番号に対応する)

一、違法な捜査行為による権利侵害の主張に対する答弁

(一)  不法逮捕について

(1)  認める

(2)  被告がその主張の日第二初音楼に登楼、流連し所持金を使い果して和歌山県に赴いた事実、和田恒利、松田謙造、原勇、山岡正篤がいずれも当時被告主張通りの官職にあつて本件強盗殺人死体遺棄被疑事件の捜査に従事した事実、及び同人等が原告を逮捕するに至つた経緯は認めるがその余は争う。

(3)  争う

原告の逮捕は適法になされたものであつて訴外人等に原告主張のような過失はない。呉警察署では広島県警察本部及び広警察署より本件被疑事件について当時詳細な捜査手配を受けたのでその捜査にあたつていたが原告主張のような端緒をえて呉市朝日町所在第二初音楼の女将菅田国枝を取調べたところ本件事件の発生後その発覚にいたるまで一〇日も日時が経過していたため、当時としてはその内容が未だ一般世人に知れわたつていない筈であるのに同女は原告が強盗殺人の犯人であることをありありと疑はしめるような原告が同女の供述として主張する内容の諸事実を申し述べた。しかも其の後の捜査により被害者が被害当時約一〇、〇〇〇円の金員を所持していた事実や被害者を昭和二九年一二月二九日午後四時頃まで見た者があるがその後の足跡りが不明である事実が判明し、以上各資料を考え合せると被害者の生存が確認できなくなつた時期と原告の遊廓登楼の時期とがほぼ相接していること、被害者の推定所持金員が原告の遊興費と大体符節を合していること、年末から正月にかけて誰もが家庭で起居すべき際に、長期遊廓に流連していること、その間の挙動のいかがわしいこと、呉を離れるにあたつて、もよりの呉駅から汽車に乗らないで、わざわざ一つ遠方の吉浦駅から乗車したこと、被害現場と原告住所との距離がゆうに原告の行動半径中にあること、さらに原告がその敵娼佐光文子に語つたという不穏な話の内容等すべて相関連して原告を本件犯行の被疑者となすに足る相当の理由があると認められた。しかも当時の捜査状況は菅田の取調べがなされたことにより原告に対する嫌疑につき同女と同居している佐光文子がいち早く原告に通報しこれを逃亡させるかもしれないおそれが生じ、寸刻もはやく逮捕する必要にせまられ、ここに和田警部が呉簡易裁判所裁判官に対し逮捕状を請求したのである。そしてその逮捕状を得たうえ、これら各訴外人等も嫌疑が充分理由のあることを確信して原告の逮捕に赴いた次第であつて、御坊警察署における逮捕の際も原告は泣きながら「迷惑をかけて済まない呉に帰つて何事も申上げる」と申述べたぐらいである。

(二)  不当な取調について

訴外人等が原告を呉署に引致後取調べた事実(但し取調時間の点を除く)、原告に同日の昼食夕食を与えた事実、原告が本件強盗殺人等の犯行を自白した事実(但し時間の点を除く)は認めるがその余は争う。訴外人等は原告を取調べるにあたり不当な圧迫を加えたり、自白を強要した事実はない。原告には昭和三〇年二月一八日午後六時過御坊警察署において夕食として親子丼を購入して与えた後護送し、翌一九日呉署に引致するや弁当を購入して与えた。その頃より原巡査部長が原告を取調べたが犯行を否認したのでその供述のまゝ調書を作成し午前八時三〇分頃同署留置場に入れて休息させたのである。ついで同日午後四時二〇分頃より松田警部補が取調べをはじめ午後五時五〇分頃より和田警部もこれに加わり取調べを続けたが当初原告は犯行を否認していたけれども午後七時頃涙を流して任意に犯行を自白したので和田警部は松田警部補立会の上直ちに供述調書の作成に着手し午後一一時過終つたので原告に読聞けたところ間違いない旨述べたので任意に署名捺印させ取調べを終了したのである。従つて長時間に亘つて取調べた事実や不当な圧迫を加えた事実はない。

(三)  捜査経過等の発表について

争う

呉警察署職員が中国新聞社の記者御田重宝に対し原告主張のような発表をした事実はない。したがつて原告主張のような新聞記事が掲載されよつて原告の名誉信用が毀損されたとしても右は御田重宝記者の自ら探知した事実に基き報道されたものであつて被告がこれにつき何らの責めを負ういわれはない。

二、豊田警部補の放言による名誉毀損の主張に対する答弁

争う

右(三)に同じ

三、原告の蒙つた損害額並びに被告の責任に対する答弁

原告に前科のない事実を認めその余は争う

四、不当利得の主張に対する答弁

山岡巡査が原告の母西本マサエより原告の護送に要した汽車賃、食事代等の費用概算として金一、七〇〇円を受領し、その後右金員のうち金一〇〇円を原告に返還した事実は認めるがその余は争う

従来被疑者護送のために要する費用については現行法上に定めはないが被疑者に支払能力のある場合にはこれに負担せしめることができると解せられているので本件護送に要した費用は当然支払能力ある原告において負担すべき筋合のものである。しかるところ山岡巡査は右護送にあたり原告のため一応その費用を立て替え支払つたので、同巡査は該有益費用の償還を原告の母マサエに請求したところ同女は自ら金一、七〇〇円を原告のために支払つたので、同巡査は原告の了解をえた上右立て替え支払つた金員を清算して残額金一〇〇円を原告に返還したものである。従つて山岡巡査が受領した右金員は被告の会計にも収納されていないのであるから被告は何らの利得もしていない。

第四、証拠

原告訴訟代理人は甲第一乃至第一二号証、同第一三、一四号証の各一、二、同第一五乃至第二〇号証を提出し、証人として佐光文子、小石シズエ、菅田国枝、藤岡次三、御田重宝、玉理元雄並びに原告本人の各尋問を求め、被告訴訟代理人は右各甲号証の成立を認めた。

被告訴訟代理人は乙第一乃至第一二号証、同第一三号証の一乃至四、同一四号証の一、二、同第一五乃至第一八号証を提出し、証人として菅田国枝、佐光文子、小石シズエ、松田謙造、原勇、山岡正篤、和田恒利(一、二回)豊田貞夫の各尋問を求め、原告訴訟代理人は右各乙号証の成立を認めた。

理由

第一、違法な捜査行為による権利侵害の主張に対する判断

一、(一) 本件強盗殺人、死体遺棄事件捜査当時訴外和田恒利が広島県呉警察署に捜査係長として勤務していた警部、同原勇が同署に勤務していた巡査部長、同山岡正篤が同署に勤務していた巡査、同松田謙造が広島県警察本部捜査一課に勤務していた警部補であること、呉警察署においてはかねて本件被疑事件について捜査していたところ原告主張のような経緯により(但し訴外人等が軽卒にも菅田国枝の供述を一方的に信用しこれを唯一の資料として原告を犯人と独断した旨の事実を除く)原告を本件被疑事件の容疑者と認め和田警部において原告主張の如く逮捕状の請求をなしこれを得て、松田警部補、原巡査部長、山岡巡査等が原告の逮捕に赴き昭和三〇年二月一八日午後三時頃和歌山県日高郡川辺町字入野の山政組工事現場において原告を逮捕したこと竝に其の後原告がその主張のように勾留せられたことは当事者間に争がない。

しかして右事実に成立に争のない甲第一乃至第三号証乙第一号証、同第一三号証の一乃至四、同第一四号証の一、二証人和田恒利(第一、二回)、原勇、山岡正篤、松田謙造の各供述を綜合すると呉警察署では同署長宛広島県警察本部捜査一課(昭和三〇年一月一二日付)同警察本部長(同年同月一三日付)広警察署長(同年同月一三日付)の各搜査手配及び広島県発行の刑事日報(同年同月一九日付)により「昭和三〇年一月一一日午後五時頃広島県賀茂郡安登村字跡条に居住する光田末松(明治三〇年六月一日生)が同村同字の山林中で変死しているのが発見せられたが屍体は荒縄で首を二巻き、胸部を着衣の上から縛られており、又両手も後手に縛られ顔面には血痕が附着し解剖の結果も絞首による窒息死であることから他殺と認められること、犯行は昭和二九年一二月三〇日晩に被害者を目撃した者があるのでその後になされたものと思われること被害者が平素使用していた黒く汚れている白ケンパス製三ツ折黒紐付財布(金が若干入つていた模様)一個がなくなつていること等の事実を知つたので直にその捜査を始めたのであるがこれに従事していた原巡査部長、山岡巡査の両名が昭和三〇年二月一五日頃偶々呉市朝日町を警邏していたところ附近で出会つた氏名不詳の男から「昨年の暮に仁方町でお爺さんが殺された事件の犯人が昨年の節季に第二初音楼に一週間位泊つて正月に帰つた」との聞込みを得たので直ちに同楼に赴き女将菅田国枝に出会い事情を問い資したところ同女は原告の行動態度について原告主張のような供述をした。そこで右訴外人両名は捜査手配の内容と右供述を考え合せ原告に疑ありと判断し直ちに捜査係長和田警部に右捜査の結果を報告したところ同警部も原告に同様の疑を抱き、且つ右捜査の結果たる各資料(前掲捜査手配(乙第一三号証の一乃至四、同第一四号証の一、二)及び菅田国枝の供述調書(甲第三号証)山岡巡査の呉警察署長宛捜査状況報告書(甲第一、二号証)により罪を犯したと疑うに足る相当の理由あるものと判断し、事件の重大性と当時原告はその敵娼であつた佐光文子と文通しており同女より捜査の模様を通報され逃亡する懼れがあつたので至急逮捕する必要があると考え昭和三〇年二月一六日呉簡易裁判所裁判官に対し原告の逮捕状を請求し、即日これを得、原巡査部長、山岡巡査及び広島県警察本部より派遣せられた松田警部補が原告の逮捕に赴き、原告主張のように逮捕した事実が認められる。右認定を覆すに足る証拠はない。被告は右各資料のほか広警察署豊田貞夫警部、同署高場紀元警部補作成の同署長宛各捜査状況報告書、(乙第一五第一七号証)同署楠本学太郎巡査部長に対する角歌子青垣内チサトの各供述調書(乙第一六第一八号証)等も嫌疑の資料となつた旨主張し証人和田恒利の供述中(第二回)には一部右主張に沿う点があるけれども右資料はいずれも広警察署における捜査の結果であること、逮捕状請求書(乙第一号証)上疎明資料とされていないこと其の他弁論の全趣旨に照しにわかに措信できず他に右主張事実を認めるに足る証拠はない。

そうすると前記各資料のみが嫌疑の基礎となつたものと認めるのほかないから次に右資料を以つて本件罪を犯したと疑うに足る相当の理由ありと認めたことの適否について判断する。

(二) 先づ前掲各捜査手配によると、前示認定の如く、被害者が何者かに殺害せられ、その死体を遺棄された事実即ち本件被疑事実中所謂罪体に関する事実の存在を一応推認しうる。そこで次に右罪体と原告との結びつき、すなわち換言すれば右犯行を原告が行つたものであるという点についてみるに菅田国枝の供述調書(甲第三号証)及び山岡巡査の捜査状況報告書(甲第一、二号証)を総合すると原告は通常人ならば家にいて多忙な家事の処理に当る年末から家族と共に新年を迎える正月にかけて一週間の長期にわたり遊廓に登楼し、その間の玉代として一二、〇〇〇円の多額な金員を浪費していること、犯行推定時が原告の登楼した日頃であること、原告は登楼の間一度も外出せず何かにおびえている様子が見受けられたこと、年寄りの男を殺して可哀そうなことをしたから生きておれない等と異常な出来事について語り思いつめた態度であつたこと、屡々自殺に用いられる睡眠薬を購入したこと、その後家にも帰らず遠く和歌山県に赴き人夫として働いているが旅立つにあたつては深夜最寄りの大きな駅である呉駅を避け、わざわざ遠方の吉浦駅までハイヤーで赴き乗車する等人目を避ける様子であつたこと、その後も再三自分が人を殺したことに関し伝えることがあつたこと等その態度に不審異常な点が見受けられ、殊に原告が「年寄の男を殺した」旨自認している点は前掲捜査手配にある被害者の年令(明治三〇年六月一日生)ともほゞ符合し、更に同じく犯行場所(広島県賀茂郡安登村)が原告の住居である呉市仁方町とさほど遠隔の地でないこと(この点は当裁判所に顕著な事実である)等々の原告が本件犯行を行つたものでないかと疑わしめる一応の事実の存したことが認められる。尚菅田国枝を取調べるに至つた端緒は前記認定のとおり氏名不詳者よりの聞込みであつたのであるが、たとえその聞込み自体は不確実なもので信憑性に欠けるところがあつたとしてもそのことがこれを端緒として取調べられた菅田国枝の供述の信憑性をも失わしめるものということはできない。又捜査段階においては伝聞法則の適用なく伝聞供述といえども資料として採択しうると解すべきであり、又特殊飲食店の経営者の供述が通常迎合的なものであり信用できないと断定することは相当でないし、本件における女将菅田の供述がその内容自体からして迎合的で、誘導によるものと速断してしまうことはできない。

しかしながら他方山岡巡査作成の昭和三〇年二月一六日附捜査状況報告書(甲第二号証)によれば同巡査が菅田国枝より「原告が明美(佐光文子)に宛てた手紙には安登村で殺人したことについて一切を神戸市居住の兄に打ち明けたところ兄が仁方町の親には話すから絶対に呉市には帰るなとのことであるから当分は会えない云々と書いてあつた旨を聞いたとのかなり具体的な記載があり証人山岡正篤はこれに符合する証言をなしているのであるけれどもその前日作成された菅田国枝の供述調書(甲第三号証)中にはかゝる具体性のある目認についての供述記載はなく、又その他右の伝聞事実を裏付ける何らの資料もないのであるから、右捜査状況報告の部分はにわかに信用することができず又同証によると原告は玉代として合計一二、〇〇〇円の金員を支払つていることが認められるが、これに符合する被害金額については単に当時広島県警察本部等からの犯罪手配書(乙第一三号証の一乃至四)中に被害金品若干の模様と記載しある外これを認める証拠がないところから、原告が遊興に費消した金員が果して右の犯行によつて取得した金員ではなかろうかと推認をなす余地はないといわねばならない。

のみならず却つて広島県警察本部捜査一課よりの捜査手配(乙第一三号証の二)では昭和二九年一二月三〇日の晩に被害者を目撃した者がいるから犯行はその後であると思料せられる旨連絡せられているが前記菅田国枝の供述調書によると原告はそれよりさきすでに同年同月二九日夜登楼して以後外出していない事実が認められこの点は、同女が原告より同月二十九日分の玉代として金千円を受取つたと極めて具体的な事実について併せ供述している点に照らして正確なものと認めうるから本件犯行が右手配書の通り同月三〇日以後のものならば、右菅田の供述自体によつて原告のアリバイが成立しうることになり本件犯行との結びつきを否定する有力な根拠が存することになるのである。従つてこの観点からすると捜査官たる者は犯行が果して確実に三〇日以後のものかどうかを捜査する一方その前後の頃の原告のアリバイについてもう一歩突込んだ捜査をとげない限り、本件犯行に原告を軽々に結びつけえない訳である。

おもうに刑事訴訟法第一九九条は被疑者の逮捕を「罪を犯したことを疑うに足りる相当の理由」の存する場合に限り許しているのであつて、右の要件は被疑者の逮捕について特に厳格な規定を設けて基本的人権を保障している憲法の精神並びにこれを受けた刑事訴訟法の諸規定の法意に鑑みつとめて厳格に解すべきでありこゝに相当の理由とは、通常人の良識ある合理的な判断に従い被疑者が当該犯罪を犯したことを相当程度高度に肯認し得る場合に限られるものというべきである。しかしてこれは被疑者が当該犯行を犯したことを積極的に肯認しうる資料が存するばかりでなく、若し被疑者が犯行を犯したものでないと窺われる資料(例えばアリバイの存在の如き)の存する場合には該資料自体証拠価値に乏しく否定的認定をなすに足らない場合は兎も角しからざる限り他に右資料の証拠価値を覆えずに足る有力な資料が存することにより否定的根拠を排斥しえない限りは右肯定的資料が存在することのみで相当の理由があるとなしえないものと解するのが相当である。

してみると前記認定のとおり原告の行動には不審異常な数々の点が認められるのではあるがそのいずれの事実もこれが原告と本件犯行との結びつき直接に証明しうるものでないことは明らかであり、更にこれらの事実を基礎として合理的な推理判断を重ねても、右事実にはいずれも本件犯行と具体的に関連するところが極めて乏しいため原告に対する漠然とした嫌疑は兎も角法の要求する程度高度の心証を得ることはいさゝか困難であり従つてこれらの事実を以つて未だ原告が本件犯行を行つたと疑うに足る相当な理由の存するものとは認め難いのみならず本件においては前叙認定の如く原告と本件犯行との結びつきを否定する資料が存するのであるが該資料のうち先づ登楼の日時に関する菅田国枝の供述が措信しうるものであることは前述のとおりであり、又広島県警察本部捜査一課よりの捜査手配も通常の捜査経緯に鑑み警察本部や所轄警察署において相当の捜査を尽し蒐集した資料に基いてなされたものであることが推認されるから直ちにこれを証拠価値が薄弱であると排斥することができず、他方肯定的な資料は前示認定のとおり必ずしも有力なものではないのであるから訴外人等は捜査手配元である広島県警察本部捜査一課等に資料の照会を求め、或は自ら一二月三〇日に被害者を目撃したという者を取調べてその供述の正確性を確める等の方法により明らかに原告に対する嫌疑を否定すると認められる前記資料の証拠価値(捜査手配中の犯行日時部分)を排斥するための捜査をなすべきであつたのである。

しかるに乙第一号証によると本件逮捕状請求書には依然犯行日時が昭和二九年一二月三〇日頃(時刻不詳)と記載せられていることが認められ、この事実よりすれば右資料が何らその正確性を確認することもなく漫然と本件嫌疑の根拠に供されたものと推認するの外はない。すると当時尚否定的資料が排斥せられざるまゝ存在し、従つて嫌疑の存否を未だいずれにも断定しえない状態にあつたものというの外なく、さすれば法の要求する原告が本件犯行を犯したと疑うに足る相当な理由に欠けるところがあつたものと認めざるをえないのである。

尚被告は原告を逮捕する直前同人は泣き乍ら「迷惑をかけて済まない呉に帰つて何事も申し上げる」と申し述べ犯行を認めた旨主張し、証人原勇、山岡正篤、松田謙造、和田恒和の供述にはこれに沿う部分があるが右供述は証人藤岡次三原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨に徴し全面的には信用できず、却つて右証拠によると原告は「呉に帰つて調べて貰えば無実であることが判る」との趣旨を申し述べたにすぎないことが認められるのであつてこれによつて原告に対する本件逮捕が罪を犯したと疑うに足りる相当な理由の存在の下になされたとなすわけにはゆかない。

(三) そうすると叙上認定のとおりいずれの点よりするも本件逮捕に供された資料をもつてしては原告が本件犯行を犯したと認めるに足りる相当な理由があつたものとは認め難いのであり急速に逮捕することを要した事由があつたこと裁判官より逮捕状が発布されたことなどはいずれも右認定を左右する理由とならないのであるが凡そ犯罪捜査に従事する警察官が被疑者を逮捕するにあたつては前示憲法並に刑事訴訟法の諸規定の法意を充分に留意し、客観性ある資料に基き慎重公正且つ合理的な判断に基き被疑者に罪を犯したと疑うに足る相当の理由ありや否やの認定をなすべく最善細心の注意を尽すべき義務があるところ訴外人等は前示資料に基き漫然その理由あるものと認めて原告を逮捕するの挙に出でたものであつてこれは畢竟右注意義務を怠つた過失による所為というべくその違法なることを認めざるをえない。

しかして原告がその主張のとおり右逮捕の結果これに引続いて昭和三〇年二月二一日より同年三月一二日まで同被疑事実により広島地方検察庁呉支部検察官の請求により呉簡易裁判所裁判官の発した勾留状に基き勾留せられた事実については当事者間に争がないところであるが、現行刑事訴訟法上被疑者の勾留は必ず逮捕を前提とするものと解すべきこと並びに成立に争いのない甲第四、八号証、乙第八、九、一〇、号証に徴し認められる原告が逮捕後作成された原告の供述調書が勾留請求並びに勾留の資料に供せられている事実に鑑みると本件勾留は前記認定の訴外人等による逮捕を出発点として、これに起因する相当因果関係の範囲内における結果と認めるのが相当である。

二、次に原告は不当な取調方法により精神的肉体的圧迫を加えられた旨主張するのでこの点につき審按する。原告を逮捕後昭和三〇年二月一八日午後七時一五分御坊駅発の夜行列車に乗車させ翌一九日午前六時過頃呉警察署に引致した事実、その後訴外和田警部、松田警部補、山岡巡査部長等が原告を取調べた事実、原告に同日の昼食、夕食を与えた事実、原告が犯行を自白した事実については当事者間に争がない。右事実に成立に争のない甲第六乃至八号証乙第四、七号証並びに証人和田恒利(第一回)、松田謙造、原勇、山岡正篤の各供述を総合すると昭和三〇年二月一八日午後三時頃御坊警察署において原告を逮捕したが午後五時半頃山岡巡査が親子丼を購入して同署応接室で原告に喰べたせた後午後七時一五分御坊駅発の列車に乗車させ車中では逃亡を防ぐため手錠をかけたまゝ山岡巡査と並んで座らせて翌一九日午前六時過頃呉警察署に引致した。その後直ちに原巡査部長が原告に被疑事実に対する弁解を聞いたところ原告は犯行を否認したのでその旨の弁解録取書を作成しそこで朝食を与えた。ついで再び同巡査巡長が原告を取調べたところ依然犯行を否認していたが、同巡査部長は犯行の裏付証拠として原告が佐光文子宛に発信した手紙を捜索しこれを差押える必要があつたので主としてその資料を蒐集する立前から原告を取調べ午前八時頃その供述調書の作成を終了したので原告を留置場に入れて休息させた。ついで定時に昼食を与えた後午後四時二〇分頃から松田警部補が取調べ午後五時五〇分頃に和田警部もこれに加わつて事情を問い質したところ始めは犯行を否認していたが、午後七時一五分頃自白するに至つたのでその頃より和田警部はその供述調書の作成を始め、午後一一時半頃これを終了したとの事実が認められる。以上認定に反する原告本人尋問の結果並びに甲第一七号証は前掲各証拠に照らしてにわかに措信し難く他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

以上認定の事実によるとなる程原告が右取調べを受けた当時逮捕による精神的衝撃と長途の護送により多少疲労していたことは推認しうるけれども、食事も滞りなく支給され、休息の時間も与えられていたのであつて、著しく疲労困憊していたとは認められず、従つてかゝる状態において、右認定程度の取調べがなされても被疑者の取調べが制限せられた時間内で迅速になされねばならない手続上の制約をも考慮すると未だこれが違法な取調べであり原告に不当な精神的圧迫を加えたものとは認められない。原告本人尋問の結果によると和田警部、松田警部補等が取調べにあたり「被害者の冥福を祈つてやれそして清算せい」「逮捕状を見たら白状せねばならん」「白状せい」等と申向けた事実が認められるが(右認定に反する証人和田恒利の供述及び原告本人尋問の結果中某刑事が体や頭をつつついたとの供述は措信しない)斯様な言辞が述べられたことが不当に原告に圧迫を加えたものとは未だ認め難いしその他に訴外人等が原告に対し威圧的強制的な取調べをなし自白を強要したと認めるに足る証拠はなく却つて成立に争のない甲第八、一七号証によると原告が自白したのは過酷な取調べによるものではなくて原告は一旦犯行を否認したが容易に開き入れられそうになく、又昭和二八年六日頃当時勤務していた山陽伸鉄株式会社において五百馬力モーターにはねられ肋骨をいためたことがあり、同三〇年一月頃にも和歌山の飯場で三度ばかり訳の分らない喀血をする始未であつたので長生きが出来ない悲観し、更に昭和二八年六月頃妻ミドリに子供を残して去られた不快さを今尚身に泌みて感じられる折でもあつたので捨鉢な気持になつて犯行を自白したものであることが認められる。

三、更に原告は呉警察署員某が中国新聞記者御田重宝に対し原告が本件被疑事件の犯人であると断定した発表をし原告の名誉信用を毀損した旨主張するので審按するに原告の全立証によるも右事実を肯認しうる証拠はなく、却つて証人御田重宝の供述によると、原告主張の新聞記事は呉警察署員の発表によるものではなくて御田重宝記者自らの取材活動により探知した事実に基いて作成せられたものであることが認められる。

四、してみれば本件捜査行為中少くとも原告に対する抑留拘禁の状態を惹起するにいたつた逮捕行為については、共同してこれに従事した訴外人等の職務上の所為に前記認定のような過失が認められ違法であつたというべきであつて同訴外人等の所為は共同不法行為というべきである。

しかして原告が右逮捕及び勾留によつて相当程度の精神的肉体的苦痛を蒙つたことは容易に推認できるところである。

第二、豊田警部の放言による名誉毀損の主張に対する判断

成立に争のない甲第一三号証の一、二並びに証人御田重宝、豊田貞夫(後に措信しない部分を除く)の各供述を総合すると中国新聞社では強盗殺人罪という重大事件の容疑者として逮捕せられた原告が一たん犯行を自白し乍ら其の後犯行を否認し結局広島地方検察庁呉支部において嫌疑なしとして不起訴処分となつた本件事案の経過に鑑み、或は自白の強制等人権を侵害する不当な捜査が行はれたのではないかとの関心から右捜査に関する記事が充分報道価値あるものと考え、同新聞記者御田重宝はその取材にあたつていたのであるが偶々同記者が昭和三〇年三月中旬頃広警察署に取材に赴き本件捜査にあたつていた同署に勤務する警部豊田貞夫と本件被疑事件について雑談していたところ、その際同人より「強要もしないのに虚偽の自白をするなどとは普通人には考えられないことで西本には精神異常的なところもあるのではないか」との趣旨の発言があつたので同記者はこれに基いて記事を作成しついで昭和三〇年三月一七日付中国新聞紙上に「広署豊田捜査係長談」の見出しの下に「自白を強要したとかしないとかの問題より西本の性格的な欠陥によるためではないか、病気ではないでらうが精神異常的なところもあるのではないか。普通のものなら強要もしないのに虚偽の供述をするとは考えられないと思う」との記事が掲載された事実、及び豊田警部は右発言に際し御田重宝が中国新聞社の記者であり、且つ本件被疑事件に関する取材のため来署している事情を充分認識していた事実が認められる。右認定に反する証人豊田貞夫の供述はにはかに措信できず、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

凡そ新聞社の記者が取材にあたつていると考えられる場合には、警察官たる者は自己の担当した特定事件について談話をすれば、その談話が新聞を通じて一般世人の前に報道されることのあるべき点に思をいたし、かりそめにも被疑者の品格性行等につきその名誉信用を毀損することのないよう人権保護の観点から慎重な配慮をなすべき注意義務を負うものなるところ、前記認定の豊田警部の発言はこの注意義務に反して不用意にも単に同人の憶測の域を出でない不確実な事実でしかも原告の人格を不当に誹謗する内容を有するものであつてこれを基礎として御田記者が記事を作成して中国新聞紙上に掲載発表せられるにいたつたことは前示認定のとおりであつてその結果一般世人に原告が精神異常者ではないかとの印象を与えよつてその名誉信用を毀損し、原告に精神的苦痛を与えたことが推認でき、右一連の経過には相当因果関係あるものといえるから、この結果に対し同警部に過失の責があるといわねばならない。

第三、被告の責任並びに損害額

被告がその所轄区域内において警察権を掌握する公共団体であることは被告も明かに争わず各訴外人等が原告主張の官職にあり被告の公務員であつたことは被告の認めるところである。

しかして判示第一記載の訴外人等の一連の捜査活動がその職務の遂行上なされたものであることはいうまでもない。ついで判示第二の名誉毀損の点も国家賠償法第一条に規定する「職務を行うにつき」の法意が純然たる職務の執行行為のみならず職務行為に社会常識上通例関連ある行為を行う場合をも含むと解せられるところから、豊田警部の発言が雑談中になされたものであり、所謂公式発表としてなされたものでないことは前示認定のとおりであるけれども、右発言が原告が釈放せられた後間もない昭和三〇年三月一六日頃尚本件捜査の継続中に広警察署内でなされたこと(本件捜査が其の後も継続中であつたことは乙第一四号証の一、二により明かである)自らなした捜査事件に関し、聞き手が新聞記者であり且つ当該事件に関して取材に来ている事実を充分認識しながらなされていること豊田警部が広署捜査係長の地位にあつた者であること等諸般の事情を考え合せるとこれを職務を行うにつきなしたる行為と解するを相当とする。

そうするといずれの所為も公共団体たる被告の公権力の行使にある公務員である訴外人等がその職務を行うについてなしたものと認められるから被告はその有責違法な行為により原告に加え損害の賠償をなすべき義務あるものというべきである。

そこで原告の蒙つた損害額について審按するに原告本人尋問の結果及び成立に争のない甲第七、一七号証によつて認められる原告は竹原工業学校三年中退後鑢工、圧延工、土工等の職歴を経て昭和二九年八月頃より同年一二月二九日頃まで呉市仁方町所在の土佐電気会社に圧延工として勤務しその後翌三〇年一月初頃より和歌山県日高郡川辺町大字入野所在の山政組作業現場において土工として働き日給五〇〇円をえていた当時二五才の過去に犯歴を有しない青年であるが前示認定のとおり本件逮捕、これに引続く勾留並びに新聞報道等により直接肉体的精神的苦痛を蒙つたのみならずその後も世間に対し肩身の狭い思いをし、就職にもこれが支障となつた事実及び前示認定のとおり訴外人等が原告を逮捕するにあたりその資料となつた原告の挙動には逮捕が許容せられる程度の相当な理由とはなりえないまでも数々の不審異常な点が存した事情逮捕後原告が捨鉢な気持から犯行を自白し自らも勾留せられる一因をつくつていること、其の他本件にあらわれた一切の事情を考慮し原告の蒙つた心身の苦痛を慰藉するに第一の請求については金四〇、〇〇〇円第二の請求については金三、〇〇〇円が相当であると認める。

第四、不当利得の主張に対する判断

原告の母西本マサエが昭和三〇年二月二〇日訴外山岡巡査に対し原告を和歌山県から呉警察署に護送するに要した汽車賃並びにその間の食費等の費用として金一、七〇〇円を支払いその後右金員のうち金一〇〇円は山岡巡査より原告に返還せられた事実については当事者間に争がない。そこで先づ右の支払がマサエを使者としてなされた原告自身の弁済と認められるかどうかについて審理するに、原告の全立証によるも原告が明示的に母マサエに対し右費用の支払方を依頼した事実を認めうる証拠はない。更に黙示的に斯様な依頼のあつたか否かについてみるに原告がマサエと親子の間柄であることは当事者間に争なく、原告本人尋問の結果及び成立に争のない甲第七、八、九号証並びに弁論の全趣旨に徴すると従来(原告が和歌山県に赴くまでは)当時広島県鑢共同組合に勤務していた父海三方において同人及び母マサエ、姉、妹原告の長男直治等と生活を共にし原告も自己の収入の一部を家計の資として母マサエに手渡していたが同家の家計は主として父海三に依存していた事実が推知せられるがこれらの事実によれば原告が通例日常の家計に属する範囲において母マサエにその支出方を依頼していたことはあつても本件の如き所謂日常生活上極めて稀な異常な出来事のために要する出費に関してまでその支払方を全般的に依頼していたと認めるのは困難であり他に原告の主張事実を推認するに足る証拠はなくむしろ右認定の事実並びに証人山岡正篤の供述原告本人尋問の結果により認められる右費用は原告の知らない間に母マサエが支払つたものである事実及び弁論の全趣旨を総合するとマサエは山岡巡査より原告が本件犯行の被疑者として逮捕せられ和歌山県より護送せられたがこれに要した旅費及びその間の食事代は原告において負担しなければならぬことを聞き吾が子の身の上を案じて自ら原告のために金一七〇〇円を同巡査に対し支払つたものであると認めるのが相当である。そうすると原告が直接被告に対しこれが返還を請求しうる謂れはないから爾余の判断をまつまでもなく原告の請求は失当であるといわねばならない。

第五、結論

よつて原告の請求のうち違法な逮捕行為及び豊田警部の発言による名誉毀損に基く各損害賠償の請求は前叙認定の限度において理由があるから、前記認定の損害額並びにこれに対するいずれも各不法行為発生の後であることの明らかな昭和三〇年一一月一〇日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の範囲内で認容し、その余は失当であるからこれを棄却し訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条第九二条を適用し仮執行の宣言はその必要がないものと認めてつけないこととし主文のとおり判決する。

(裁判官 辻川利正 裾分一立 土井俊文)

別紙(一) (中国新聞昭和三〇年二月二一日付夕刊)

山林(賀茂郡)の強殺を自供

呉和歌山から連行の西本

(呉) 一月十一日夕刻、広島県賀茂郡安登村安登条の山林中で絞殺死体となつて発見された同村農業光田末松さん(五八)殺しの有力容疑者と見られていた呉市仁方町神町、人夫西本重明(二五)は十八日午後三時半ごろ和歌山県日高郡川辺町で広島県警察本部松田警部補らに逮捕され十九日午後六時呉署に身柄を連行留置された。

西本は呉署の追及によつて昨年十二月二十九日夜光田さんを絞殺、現金一万四千円を強奪、遊興に費消したことを自供した。

なお西本は二十日午後広署に移され、同署で本格的取調べが始められた。

(二) (中国新聞昭和三〇年二月二一日呉版)

女故の罪 女故に露顕 手紙から足 強殺の西本

(呉) 既報=広島県賀茂郡安登村農業光田末松さん(五七)を強殺した容疑で十八日和歌山県日高郡川辺町、山政組現場で呉署員に逮捕された呉市仁方町人夫西本重明(二五)は二十日朝呉署に連行され身柄を広署に移し本格的な取調を行つている。西本は「女のために済まないことをした」と涙を流しながら犯行の一切を自供した。同人が罪を犯したのは数ケ月前からなじみになつた呉市朝日町特殊下宿業接客婦M子との遊興費に困り、金を盗むことを計画昨年十二月二十九日午后六時ごろ安登村を訪れ、あちこち物色、一軒屋の光田さん宅に目をつけ借金を申込んで断わられ殺害、腹にまきつけてあつた一万四千円入りの財布を抜き取つた。その夜汽車で呉に出てM子のところで遊び一月四日までいつゞけたが金がなくなつたため吉浦駅かな和歌山県の山政組現場に飛んだ。光田さん殺しの足がついたのは西本が和歌山の現場から「自分は故郷に帰れない身になつてしまつた。旅の空で寂しい毎日を送つているが心はお前(M子)のもとに通つている。もうけた金はたばこ銭を引いたほかは全部送る。その金でマジメになつてくれ自分は何もいらない……」との手紙をM子に送つたのが有力な手がかりになつたという

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